「無目的の道具=自分の美意識」

文/不破博史 建築家


『ある出来事とその景色」を持参せよという・・・

がしかし、
会場に着くまで到底1つになど絞れなかった。
ただ、表参道の雑踏の中、「息を潜め、子供の寝顔を眺めながら、時間も忘れボーっとしていた今朝方・・・」そんな出来事を思い出すとホッとしていた。

そして、構わず席に着いた・・・

またか!(KAORUさんのイベント参加は2回目なので)
自分にとっては、またもや大問題が目の前で起こった。
わけが分からない。
気に入った道具を選びましょうという。
どのように使っていい道具なのかもわからないせいか、正直どれも気に入らない。
幸運にも「大樹」にも「巻貝」にも見える道具を見付け、それを手にし、少し落ち着いた。

道具を手に、席に着くと、周りの参加者は、楽しそうに(みえたが、実際どうだったのだろうか・・・)、無垢の練り切りを、躊躇無く、変形させ、着色し、着香させていっているようだった。

小生は、苛々して、貧乏揺すりがはじまった。
目の前で優布に包まれ、美しい箱に包まれた練り切りは、すでに完成しているかのような佇まいをみせており、「このままの様で良いではないか!」と思えたからであった。

しかし、なにもせずに、この会場を出る訳にもいかない。
なにかしないといけないのだ!

いよいよ、覚悟を決めて、目をつむり、漸く、自身との対話のはじまり。。。

好むと好まざるとに関らず「ある出来事=全ての出来事」は、遠い将来の未来から見つめれば、優劣つけがたいものであり、『過去のどのような幸福、病いや災難に対しても「感謝の念」が余韻として残る』という普遍性から逃れられない自分は、「頭に持参したもの」は、さておき、練り切りに「感謝」を入魂することをはじめた。

両手を合わせ、延々と「手のひら」で丸く球体に成形しつづけいるうちに、玉が完成。「感謝」を入魂するのに「指先」はまったくといっていいほど役にたたなかった。この作業で、ほとんどの時間を使ってしまったようだった。練りきりを、手のひらを気持ちよく転がしているうちに、時間という概念がなくなっていたが、「もうよろしいですか?」と心ないとも感じられた声をかけられ、慌てた。なぜなら、最初に選んだKAORUさんの道具を一切使用していないし、この球体を「器」に置く形状にする必要があったからだ。

上も下もなかったはずの球体に、KAORUさんがつくった生き生きとした道具を「ぎゅ~っ」と押しつけることで生じた「複雑な生き生きとした凹型」のついた面を下にし、そっと「器」と「箱」に置いた。「完成形と思えた元々の練り切りの姿」に近いものとなっていたので、満足だった。

「いびつで美しいなめらかな器」の上に、ただの「玉」が置いてあるようにしか見えない。「ある出来事とその景色」は他人から見たら、そんなものだろうか・・・。

ただし、元々の「練り切り」と違うのは、その練りきりは、気持ちよく手のひらで転がされたこと、そしてそれは自身の過去に対して感謝の氣持ちを抱きながら行われたこと。そして、香りも色も入る余地がないということを選択されて、此処に在ること。そしてその「練り切り」とKAORUさんの「器」との間に「空間」が創られたこと。その「空間」に「息づき」が内包されたこと。その「息づき」は、このイベントを行うことを決心して、吾々に「何かを目覚ませようとした」KAORUさんの道具の「息づき」であること。

最後に「菓名を付けよ」とあった。
本当は、「そのまま」のような事を名前にしようと思ったが、手を加えた以上、それはないと思った。

結局「自分は日や月や風のような、無色透明であるが無くてはならない役割を果たした」という単眼的考察により、「日月素」には誠に失礼、無礼千万!と思いつつ、恐れ多くも「日月素」と名付けさせていただいた・・・

◎日:太陽は赤は赤色に、青は青色に映す。それは、太陽の光が「無色透明」がゆえ・・・。
◎月:月は漆黒に浮かぶ「日を映す鏡」である。鏡もまた無色透明・・・。
◎素:素(風)は、万物創造の息吹きである。

「自身のお道具をお持ちですか?」という問いかけるイベント名・・・。
KAORUさんのおっしゃる「自身のもつ道具」が動いた。
自分にとって、その道具とは「他人に明に気づいてもらう必要のない自身の美学」というものであった。

今回のKAORUさんのイベントも前回同様、最初は意味不明で、苛立たしいものだったが、KAORUさんが意図したことはこのことか?!と相変わらず、寂しくも独り納得して、勝手に心が晴れ、帰途に着いた。

その昔、経験は、経「険」と書いたそうである。
険しいことを経てこそ、experienceであった・・・・

そんなことはラテン語では常識で
ex=さらす
perience=危険
つまり、危険にさらされてこその経験なのである。

本当に危険で、不思議なお方だ。
そして、自分は目出度い者だと想々・・・

この文章は安請け合いで書くはめになったが、幸いにして、自身の美意識を祈る機に逢い奉ったことを慶ぶ・・・

「日の本つ国人、ふはひろし、無色透明民族よ、その志、永遠なれかし!」と祈る。。。

Aplil 2015

自身のお道具をお持ちですか?

photographer: Waki Hamatsu
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